大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成3年(ワ)2740号 判決 1992年7月24日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  原告の請求

一  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成三年四月四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、週刊新潮に、別紙記載の謝罪広告を、別紙記載の条件で掲載せよ。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  原告は、昭和五九年九月一九日、同年六月に大阪府堺市で発生した少女殺人・強姦致死事件(以下「本件刑事事件」という。)等の被告人として、大阪地方裁判所堺支部に起訴され、平成三年三月二五日、右殺人及び強姦致死の訴因について無罪の判決(以下「本件無罪判決」という。)を受けた者である。なお、右事件は、検察官から控訴の申立があり、現在大阪高等裁判所において控訴審の審理中である。

2  被告は、「週刊新潮」を発行しており、その平成三年四月一一日号(四五ないし四八頁)において、「『少女殺し』逆転放免の裁判官は『無罪』常習」との大見出しを付した記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

二  争点

1  本件記事の掲載が、原告に対する名誉毀損になるか否か。

(一) 原告の主張

本件記事は、読者をして、原告の受けた無罪判決が異常な裁判官によつて誤つてなされた異常なものであり、高裁で逆転される可能性が高いかのイメージを抱かせる不当なものであつて、正当な裁判を経て第一審の無罪判決を受けた原告の名誉ないし名誉感情を著しく毀損したものである。

(二) 被告の主張

本件記事が、読者に対し、異常な裁判官により誤つて簡単に無罪判決が下されたとの印象を読者に与えることはない。また、本件記事は、乙山裁判長とその審理・判決に対する批判記事であつて、文章中に生硬な表現や主観的批判文言があるとしても、乙山氏から異議が出るのであればともかく、原告の名誉毀損につながる理由はない。

2  仮に本件記事が原告の名誉を毀損するとしても、違法性阻却事由の存在により、違法性が阻却されるか否か。

(一) 被告の主張

(1) 本件記事は、裁判官及び判決に対する批判記事であり、その内容が公益性を有することは明らかである。また、本件記事が、原告の犯人性に関する事実に及ぶことは避けがたいことであり、犯罪行為に関する事実もまた公益性を有するものである。

(2) また、本件記事報道の目的が、裁判官及び判決の批判にあつて、原告の個人攻撃にないことは、記事の構成及び内容から見て明らかである。

(3) よつて、本件記事は、公共の利害に関する事実の報道及び同事実に基づく論評であり、その目的が専ら公益を図る目的に該当することは明らかであるが、さらに、右事実は、真実であるか又は真実であると信じるにつき相当の理由があり、論評に当たる部分は公正性を有するものであるから、本件記事はその違法性が阻却されるものである。

(二) 原告の主張

被告の主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  名誉毀損の成否

1  本件記事は、<1>まず、「『少女殺し』逆転放免の裁判官は『無罪』常習」との大見出しのもとに、<2>本件無罪判決は、担当裁判長の乙山判事が有名な無罪好きの裁判官であることから、大方予想されたものであつた旨のリード部分が続いている。

そして、続く本文では、まず本件無罪判決について、<3>司法担当記者の言葉として、乙山判事の証拠採用の厳しさと無罪好きからして、本件無罪判決は予想がついていたという旨を載せ、<4>本件刑事事件における証人の証言、鑑定結果及び現場に遺留されていた原告の指紋に対する裁判所の判断を批判し、続いて、「多分に情緒的」との見出しを付して、<5>司法担当記者の発言として、乙山判事の判決の場合は本当に無罪かどうか疑問があり、その検察側批判には情緒的なところがあるように思う旨を載せ、<6>大阪地裁関係者の言葉として、乙山判事の担当になる事件の被告側は、捜査段階で自白した後公判段階で否認すれば大丈夫というパターンになるだろうという旨を載せ、最後に<7>本件刑事事件の弁護人である福本弁護士の言葉として、本件無罪判決については何らおかしい点はなく、出るべくして出たものである趣旨を載せている。

そして、続いて乙山判事個人の事柄について、「塩漬け人事」の見出しのもとに、<8>同期の弁護士の発言として、同判事が人事上評価されていないこと、裁判官をしているうちに一つの方向へ偏つて行つたのかも知れないという旨を載せ、最後に、「判事は選べない」の見出しのもとに、<9>同判事が下した無罪判決のうち、上級審で覆された例も少なくないとして、同判事が下した他の無罪判決における証拠評価を批判している。

2(一)  本件記事は、右に述べた構成と記載内容を見るかぎり、本件無罪判決とそれを下した裁判体の裁判長を批判する内容のものであつて、本件刑事事件と関わりのない原告の言動を述べるものでもなければ、原告が本来有罪となるべき旨を直接に摘示するものでもない。

しかし、週刊誌の記事による名誉毀損の成否は、一般読者の通常の注意、関心及び読み方を基準として、一般読者が当該記事から受ける印象に従つて判断すべきものであるから、単に原告を直接の記事の対象としていないからというだけでは、名誉毀損の成立を否定する理由にはならないのであり、本件記事が、本件無罪判決が誤つたものであり、原告が本来は有罪であるとの印象を一般読者に抱かせるものであれば、原告に対する名誉毀損が成立しうるものといわねばならない。

(二)  右の観点から検討するに、たしかに、本件記事が、乙山判事を「無罪常習」「無罪好き」と評し、司法担当記者の言葉として「乙山さんの検察側否定には、多分に情緒的なところがある気がします」と引用し、同期の弁護士の言葉として「裁判官をやつているうちにだんだん一つの方向へ考えが偏つていつたのかもしれません」と引用していることからすれば、一般読者が、乙山判事について、無罪好きで、情緒的に検察側に厳しい判断をする偏つた裁判官であるという印象を受けるであろうことは否定することができない。なぜなら、一般読者は個々の裁判官の日常の審理態度や判断傾向など知らないのが通常であるので、司法担当記者や同期の弁護士といつた司法関係に詳しそうな者の右のような発言に出会うと、そのとおりに受け取るであろうと考えられるからである。

しかし、右発言はいずれも具体的裏付けに乏しく、関係者の単なる感想の域を出ないものであつて、一般読者に対する説得力はさほど強くはないし、担当の裁判長が右のような人物であることからは、本件無罪判決の正当性に対する漠然とした疑問は生じても、直ちに原告は本来有罪とされるべきものであつたという印象までは生じないと認められる。したがつて、乙山判事個人に対する批判論評それ自体によつて、直ちに、一般読者が、原告が本来有罪とされるべきだという印象を抱くとは考えられない。

(三)  むしろ重要なのは、乙山判事個人に関する論評部分ではなく、本件刑事事件の証拠評価に関する部分である。本件記事においては、本件刑事事件における具体的証拠を挙げて、本件無罪判決におけるその評価の不当性をも指摘している。右部分は、証人の証言、鑑定結果、原告の指紋について、かなり詳細に紹介し、本件無罪判決がいかに不当なものであるかを捜査官の口をして語らせているのであつて、その具体性に鑑みるときは、本件無罪判決の不当性について一般読者に与える影響は大なるものがあり、先の乙山判事個人に対する批判も、このような具体的裏付けを得て初めて説得力あるものとなつており、結局、一般読者に対し、本来有罪であるべき原告が、誤つて無罪になつたとの印象を抱かせるものであると認められる。

3  ところで、原告は、本件記事が発表された当時、本件刑事事件の被告人として起訴され、第一審で本件無罪判決を受けていたことは争いのない事実である。一般に、人の名誉は、刑事事件の被告人として起訴されると大幅に低下し、確定判決によつて有罪と判定されたときに最も低下した状態に達するものといえるが、第一審段階といえども無罪判決を受けた場合には、かなりの程度改善されるものと考えられる。してみると、本件記事は、有罪の確定判決がなされないうちに、原告が本当は有罪であると指摘する趣旨のもので、第一審の無罪判決を受けたという事情の下にいる原告が享受している社会的評価を低下させるものであるから、それが週刊誌に掲載されて公にされたことにより、原告の名誉は毀損されたものということができる。

二  違法性阻却事由の有無

1  本件記事が名誉毀損となる所以は、先に摘示したように、一般読者をして、原告が真実は有罪であるかのような印象を抱かせる点にあるのであるが、本件刑事事件において公訴を提起された原告が有罪であるか否かは、本件刑事事件が少女を強姦した後に殺害したという重大事件である点や、一般の裁判監視の必要性からして、公共の利害に関する事項であると解される。

そして、公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由として尊重されるべきものであり、右批判等により他人の社会的評価が低下することがあつても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点で真実であることの証明があつたときは、当該他人の人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、責任ある言論として、名誉毀損の違法性を欠くものというべきである。

2  本件記事は、一1に摘示したように、専ら乙山裁判長の批判と本件無罪判決の批判を内容とするものであつて、原告個人の私生活上の言動等には一切触れていないものであるから、その目的は専ら公益を図るものであると認められる。

もつとも、本件記事は、そのリード部分で、原告を指して「冤罪ヒーロー」と呼んでいるが、これが原告に対する人身攻撃に出たものでなく、むしろ本件無罪判決を批判する一環としての記述であることは、本件記事が本件無罪判決の内容と乙山判事の裁判態度を論評の対象としていることから明らかである。

3  本件記事が名誉毀損となる所以が、原告は本来有罪となるべきものであるという印象を一般読者に与える点にあること、そして、本件記事が右印象を読者に与えるに当たつては、乙山判事個人の裁判態度に対する論評部分は必ずしも重要ではなく、むしろ本件刑事事件の証拠を挙げて、本件無罪判決におけるその評価の不当性を主張する部分があつて初めて原告の有罪性の印象が与えられるものであることは先に述べたとおりである。してみれば、本件記事が名誉毀損となる主要部分は、右証拠評価の部分にあるということができ、この部分の論評が前提としている事実が主要な点において真実であるか否かが問題になるというべきである。

しかるところ、原告の愛人たる証人の証言、被害者に付着していた陰毛についての府警側及び弁護側の鑑定結果、トイレの壁についていた原告の指紋の存在並びにこれらに対する本件無罪判決中の評価判断という、右論評が前提としている事実が、本件記事に記載されたとおりであることは、《証拠略》に照らして明らかである。

4  そうすると、本件記事による原告に対する名誉毀損行為には、違法性阻却事由があるというべきである。

三  以上よりすれば、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとする。

(裁判長裁判官 下司正明 裁判官 西口 元 裁判官 高松宏之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例